生きるための指針

余生を考察する

上海の長い夜 上下 鄭念著

今までの人生の軌跡を振り返ると、
出産前までは自分だけを信じて毎日を生き抜いてました。

出産後は自分の力だけではどうにもならない困難に苛まれ、
自分の運命をコントロールできない自分が置かれた状況に怯えていたと思います。

その状況を打破する一条の光を見出すために私は読書に傾倒するようになりました。

フランクル著「夜と霧」では、
生きることに対する確固たる執念を持つこと、
人はどんな極限状態にも適応できる生き物だという確信、
自己の人生の意義を自分に問うことへの別の解釈、
著者に触発された結果、自分一人では悟ることのできない境地に達することが出来たと自負しております。

 

先日、上海の長い夜という著書を読みました。
この本を手に取ったきっかけは、このブログに残してくださったある方のコメントでした。

「生きる指針になりうる本だと思います。」という文言が脳裏から離れず、やっとこの本を手に取り読むことが出来ました。

本当に生きる指針になりえる名著です。コメントを残していただいた方にお礼申し上げます。

 

 

先人の教えから学んだこと

たくさんの絶望的な状況から生き延びた方々の著書を拝読しました。
屈強な精神力、強靭なフィジカル、運、小さな努力の積み重ねなどいろいろな要素が上手くかみ合った結果だと思いました。

一連の著書を読んでいく中で、私の興味を引く文言がありました。
「信仰心が深い人ほど一抹の生きる希望を手放さなかった」
「自分の暗黒期を支えたのは信仰だった」
「人間に支配されているのではなく神によって支配されているのだ」

想像を絶する絶望の中でも一筋の希望や心の平安を与える宗教。

 

でも宗教を信じていた時代はもう過ぎ去り、私たちは現在、科学を信じて今を生きています。

「人生は不可抗力だ、不条理に立ち向かっても意味はない」
と不幸を受け入れて生きている人がほとんどです。

しかし今現在も、科学では到底証明ができない奇跡のような出来事が起こっています。
科学者の大半が宗教を持っていると言われていますし、どんなに科学が発達しても宗教は絶対になくならないと思います。

 

生きる指針、自分の余生の方向性

私はとてつもない天邪鬼で、世間と反対のことを考えてしまう癖があります。

これらの本を読んで「宗教」にとても興味を抱いたのですが、
今の日本社会は堂々と「宗教を持っている」と言いづらい社会になってしまいました。

 

近年深刻な宗教問題が露呈したためにより一層悪いイメージがついてまわってます。
それは信者が犯罪を犯したためであり、信仰は心の平安を守るためにはとても有効なものだと私は思っています。

人はモラルだけでは生きていけません。

これだけのたくさんの人々に生きる希望と勇気を与える宗教に興味がわき、
これからの余生における生涯学習として、私は宗教を学問として学んでみたくなりました。

 

今年度の春、4年制大学の通信教育部に3年次編入し、勉学に励むつもりでいます。
最終的な目標は海外の大学院で修士論文を書き上げることです。
若いころに一度諦めてしまった自分のやり残したことをやるのは今からでも遅くはない、
まだ自分の人生を巻き返すことは可能だと信じています。

 

 

 

 

 

 

 

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