お互いを傷つけ合う元夫婦

離婚回顧録
共依存夫婦の末路は「離婚」でした
過去の結婚生活を振り返ってみると 私と元夫はかなりの共依存夫婦だったと思います。 私は自分のやりたい事が分からなく彷徨っている時に元夫と結婚。 そして前途洋々な元夫の夢に自分の夢を投影しました。 元夫は仕事において「好き」と...

共依存関係から離婚に至った元日韓夫婦の私たち。
お互いに相手を許せないまま今に至っています。

 

元夫は離婚を口にして家を出て行った私を憎んでいます。
家を出て行くほど追い詰められていた私の心情に寄り添うことはありません。

 

かくいう私も自分が困窮していた時には妻の理解を求め、
反対の立場になったら妻に寄り添う事さえしなかった元夫を憎んでました。
私の立場から見ると元夫に利用されたとしか思えません。

 

元夫は子が毒親を憎むように私を恨んでいます。
でも、彼は元妻である私と「友達」関係でいたいと訴えてきました。

 

彼にとって離婚の落としどころが友達関係なのでしょう.
元夫の一番の悪いところは「自分を分かっていないこと」だと私は思っています。

彼は自分の本心と理想の自分像との乖離に気付かないまま、
常に自分の理想像を演じて生活しています。

 

その結果、私は元夫の本音と言動の不一致に振り回されてばかり。

 

その上、元夫は私に過去のすべてを許すことを強要してきます。
彼の思う「許す」は何もなかった白紙状態に戻すことです。

 

「何もない白紙状態に戻す」、私はそれが出来ません。
元夫婦の間にあった色々な過去を完全に消し去ることを
彼は私に強く求め、それが出来ない私を更に強く責めてきます。

 

私にできることはただ一つ、
その当時の彼の心情に思いを馳せ自分なりに理解することです。

 

私は記憶を頭の中から消すことができません。
過去を痕跡なく初期化して忘却することは私には不可能であり、
また無理に記憶を消す必要もないと思って生きています。

 

私と元夫の「許す」という概念は全く違うもの。

過去を忘れられるかどうかは
頭から記憶を容易く消去できるかどうかの違いだけだと私は思ってます。

 

人の犯した過ちを忘れることが「許す」ことだとは思いません。
記憶から消し去ることを望むことは、その当事者の心の問題だと見ています。

 

 

人の過ちを忘れられないこととその人の心の器の大きさは必ずしも比例せず、
また忘れられないことがその人の弱点になるとは思いません。

 

物事は裏表一体です。
私は記憶を忘れられない性質であるがゆえに、同じ失敗を二度は繰り返しません。

また人に施してもらった恩は絶対に忘れません。

過去を忘れられない性質は私の長所でもあると自負してます。

 

 

 

私たち元夫婦は顔を突き合わせるたびに
無意識にお互いを傷つけ合っています。

元夫は私から三下り半を突き付けられたことにとても傷ついてます。

私は元夫から「いろんな人との付き合いの中で社交性を磨くべき」
と指導、叱責を受けるたびに人格否定されたようで暗澹たる思いにとらわれます。

 

元夫と私は全く通じ合うことはない傷つけ合う事しかできない間柄になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

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