待ち望んだ我が子は「障害児」でした。
幼いころから今まで色々なことがありました。
何が一番つらかったかなと考えてみると、
圧倒的にこの2つだと思います。
1、健常者として生きてきた私と子の間に共感の意識が存在しない。
自閉症の子はいわゆる健常者とは全く違う感覚を持っています。
私たち親子は聞こえ方・見え方・考え方において何一つ共感できるものがありません。
また、自閉症の特性がゆえに親のしつけが中々身に付きません。
親のしつけよりも本人の衝動性が圧倒的に優位な特性です。
障害児育児はゴールが見える育児ではないので、
暖簾に腕押しの繰り返しで虚無感ばかりを覚える育児です。
私の育児がこういうものだと分かっていたのなら、
私は結婚して子供を産むという選択はしなかったと思います。
だから今この現実が苦しいのです。
2、私自身は迷惑をかけないように生きていきたいのに、子は迷惑をかけてしか生きることが出来ない。
ミルを育てていて、やめてほしいなと思っていることは、
度の過ぎた「感覚遊び」と「感覚刺激」です。
「感覚遊び」「感覚刺激」は子供の脳に刺激を送り、子どもの健やかな成長を促します。
ただ、自閉症児は何をするにも度が過ぎるのが悩みです。
ミルは同じ場所で同じことを繰り返し反復して遊ぶことが大好きで、
そのせいで知らない人からたくさんのお叱りの言葉を受けて生きてきました。
自閉症児の感覚遊び、感覚刺激に困っている親御さんは多いはずです。
「人に迷惑をかけない別の場所でやらせればいいのに。」
「親は何で止めないの。」と思う方々が多いと思います。
親も止めることができないのです。
どんなに止めさせようとしても止められないのが自閉症児です。
自閉症児本人も自分でコントロールができない感覚なので、
親がコントロールすることは不可能だと思います。
親が出来る事は人を傷つけないように徹底的に監視すること、
迷惑をかけた方たちにひたすらに謝ることだけです。
この状況は加害者家族の状況と酷似していると思う時があります。
障害児を養育する中で日常生活が破壊されることもあり、
開き直ることも理解を乞うこともはばかられ、
時にはひっそりと暮らすことを余儀なくされることもある。
監督義務責任がある親がすべてを背負ってますが、
私はこの責任に押しつぶされそうになりながら毎日を過ごしてます。
「家族が悲しむから」という理由で無理やり生きているだけ、
生き甲斐を感じることもない生き地獄で、ただ生きているだけの毎日でした。
今はあの時、ただ生きていただけで良かったんだと思います。
当時自分の人生の意義は見つけることが出来ませんでしたが、
障害があっても自分の人生を自分なりに楽しんでいるミルを見て、
「生きなきゃ、生きるべきだ。」と自分を戒めてました。
自分のためじゃなくて人のためにだけ生きる人生が
こんなに辛く虚しいものだとは思いもしませんでした。
皮肉なことに人間は自分のためだけに生きると虚しくなり、
また他人のためだけに生きても虚しさがこみ上げてくるようです。
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