我が子ミルは3年にわたる不妊治療の結果、授かった子です。
体外受精を3回してやっと授かった奇跡のような貴重児でした。
一般的な家庭を夢見ていた私と元夫はどうしても子供が欲しかった。
やっと子供を授かることが出来た時、
「やっとこれで周りの人と同じような平凡な幸せが手に入る」
とこの先幸せに向かって一直線だと信じて疑いませんでした。
今思うと子供が無事に生まれて、
明るい未来しか考えていなかった頃が一番幸せだった。
生まれた頃から本当に手のかかる子で、大変な育児でしたが、
1歳を過ぎた頃、我が子に違和感を感じるようになりました。
・人見知りが激しく、嫌がり方が尋常ではない
・人より物への関心が異常に高い
ネットで検索すると出てくるのは「自閉症」の文字。
チェック項目でセルフチェックすると、
当てはまること、当てはまらないことがありました。
<当てはまらなかったこと>
・目が合わないということはない
・物を並べることはしなかった
・逆さバイバイはしない
・人を求めないことはなく、家族を求めて泣く
・クレーン現象をほぼしない
それ以外は自閉症の標本みたいな子でした。
発達障害の疑い、自閉症の診断が下り、知的障害の診断が下って、
私は子供の障害受容という大きな壁にぶち当たります。
この障害受容こそが自分の人生で一番の試練でした。
努力と気合と熱量で自分の人生を今まで生きてきて、
自分の意志だけではどうにもできない我が子の障害を目の前にして
どう向き合えばいいのか全く分からず途方に暮れました。
人生は生きるか死ぬかの究極の2択です。
私は子供と生きることを選びました。
ゴールが全く見えないエベレスト登頂のような「障害の受容」は
気が付いたら出来るようになってました。
私の場合は障害の受容に大したスキルは必要ありませんでした。
何かを悟ったわけでもありません。
ただ、障害を持っている我が子に「慣れてきた」だけです。
冷たい周りの視線、反応、言動に「慣れてしまった」。
また、長年我が子を観察、分析し続けた結果、
どんな性質を持ってどう行動する子なのか、
我が子の習性が分かるようになってきました。
自分はこの子を育てられるという確信が沸いてきた結果、
気が付いたら障害を受容できていました。
これからも子供を理解、観察することを通じて、
自分が出来る、自分がしたい子育てに邁進したいと思ってます。
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