共依存夫婦の末路は「離婚」でした

離婚回顧録

 

過去の結婚生活を振り返ってみると
私と元夫はかなりの共依存夫婦だったと思います。

 

私は自分のやりたい事が分からなく彷徨っている時に元夫と結婚。
そして前途洋々な元夫の夢に自分の夢を投影しました。

 

元夫は仕事において「好き」と「得意」が一致している人で、
特段の才能がなく空回りばかりしている私にはとても魅力的に見えました。

だから自他の区別なく元夫を支えていたのだと思います。

 

私は仕事面で自分に向き合うことをせず逃げてばかりの
理想と現実の狭間で揺れ動いていた時期に、
そこから逃げるように結婚を決めてしまいました。

 

好きなことを仕事にできない自分の無能さと向き合えなかったこと。
私の「離婚」はここから全て始まったと言っても過言ではありません。

 

共依存夫婦だという自覚がなかった訳ではありませんでした。
障害児育児をしている私はこの関係がだんだんと耐えられなくなり、
対等な関係へと修復しようと思ったときには時すでに遅しでした。

 

共依存関係はお互いがその関係性に危機感を持っていないと変えられません。
元夫はこの関係に一抹の疑問も感じていませんでした。
私だけがこの関係が苦しくなっていったのです。

子どもの年齢が上がっても楽にならない子育てをする中で、
私はやっと自分の人生を見失っていることに気付きました。

 

巣立つことが出来ない子を育てる障害児育児は終わりなき育児です。
一生続く障害児育児を乗り越えるために自分の人生に真正面から向き合い、
自分の意志で生き方を構築する必要性を感じるようになったのです。

 

思い通りにならない障害児育児で私の自己肯定感は低下の一途をたどるばかり。
子育ての結果を自分の人生の意義にしてはいけないと深く悟りました。

自分は変えられるが他人は簡単に変えられないことのもどかしさを
障害児育児を通じて目の当たりにした私は
どうにかしてこの状況に風穴をあけたいと思うようになったのです。

 

共依存関係を修復して夫婦が対等な関係でありたいと願いましたが、
元夫は現状維持の状態で私の精神的自立を強く望みました。

 

家庭を妻に任せて仕事だけに専念したい彼にとって
育児のストレスによる精神的苦痛ばかりを訴える私の言い分は説得力に欠けたと思います。

 

しんどい育児だけをする自分の世界が牢獄の中にいるような
希望も未来も見えない絶望的な生活だとしか思えなくなっていました。

元夫はそういう私をネガティブな現実逃避としか捉えなかったのかも
知れません。

 

 

話し合いもままならぬ日々を過ごす中で、
私に嘘をついて外出しようとする彼に対して不信感を募らせました。

 

私に嘘さえつけば自分の気持ちひとつで外出が可能な元夫に対する
不満が日増しにエスカレートしていき、この結婚関係が続く限り、
この不平等は是正されないと思い詰めるようになりました。

 

このまま年を重ねて私に何が残るのだろうと自問自答を繰り返し、
「この人と別れよう」と離婚を本気で考え始めた私。

 

ある日、元夫が私たちの状況を危惧してある一言を発しました。

「ずっとこのような状況なら離婚を考えざるを得ないかも知れない」

 

この一言を聞いた私は「今がチャンスだ」と離婚を切り出しました。

そう思うなら今離婚しませんか。離婚すべきだと思います。

こう告げて次の日に荷物をまとめて子供と一緒に家を出ていきました。

 

何か気に食わないことがある度に離婚の2文字を切り札にする元夫。
私はそのことを長い間腹に据えかねて見てました。

 

元夫の立場から見ればこの自分の発言が離婚につながったことは
青天の霹靂だったかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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